こんにちは、ふらです
昨日騒いでたプレビュー数の件、解決した
大学時代のバイト先の店長だった
TwitterのDMで自白しました
“文才ありすぎて読んじゃった”
とかお上手なこというので
“いえいえそんな照”などと受け取っていたけれど
これはもしや、そういう皮肉なんじゃないか
などと、疑心暗鬼になっている
もともと本屋の店長だっただけあって
本読む人だから、文才をそんな簡単に褒めるわけ…
しかもそういう、
人を皮肉ったりするような茶目っ気のある人で
そんな部分を私も気に入っていたわけだが
うーむ、とりあえず素直に受け取っておこう
…
私はクソアルバイトだった
シフトは週1、遅刻は頻回、電話は取らない
本は見つけられない、仕事は遅いし、ミスもする
めちゃくちゃ迷惑だったと思う
“今日シフト入ってますよ”という電話で
飛び起きたことも数え切れない
当時は起立性調節障害の診断も
受けていなかったので、ただ“朝弱い人”だった
低血圧のくせに飛び起きて
チャリ漕いで出勤するから
職場につく頃には貧血起こして倒れていた
本当に使い物にならないアルバイトだった
そんな私を、切らないでいてくれた店長だ
(ちなみに在籍中に店長は辞め、別の人に代わると
その後はすぐにクビを切られた(笑い話))
店長はアルバイトに仕事の質を期待していなかった
そんな気がする
今でも連絡を貰えるくらいには
人としては気に入られていたと思う
ただの仲良し
アルバイトの中ではなんとなく浮いていたけれど
居続けられたのは店長のおかげかもしれない
なんか店長持ち上げすぎてキモいな
でも、まぁ、お世話になった人だ
店長が辞めてから、その後どうしているのか
ラーメン屋をしているとか
トラックの運転手をしているとか
風のうわさで聞いていたけれど
元気にされているようで良かった
当時のアルバイトたちと“いつか集まろう”みたいな
ふわっとした目的のLINEグループに入れてもらった
いつか会えるのは、素直に嬉しい
店長が“店長”でなくなった今、
なんと呼んでいいかわからないけど
なんか変なあだ名でもつけてやろうかな、へへっ
…
ブログ書いてなかったら
声も掛けられなかったと思う
人との縁は、ふとしたきっかけで繋がるね
決定的に切れる瞬間は多くないけど
気付いた時には交わらなくなっていることが多い
それをまた繋げるのは勇気がいるけれど
今のところ、良い方に働いているから
ちょっと勇気を出して
昔の知り合いに連絡をとってみるといい
孤独は、自分から作り出す物のような気がしている
関わってきた人は、悪人だらけだったか?
会っても、話をしても、鬱が治るわけじゃないけど
環境が少しずつ変わっていく
世界と繋がりを持っておくことが
“救済”の道を選ぶのを、踏みとどまらせてくれる
死は救済、間違いないんだけど、
本当に最期の手段を実行するときなのか
気力がない中でも、やれること全部やったのか
思い返してみてほしい
過去の自分へ
書いてたら吐きそうになってきた
思い出し希死念慮しんどい、おえ
死の淵にいたんだ
足掻いて間違えて逃げて逃げて逃げて
なんとか生きてる、生きているなぁ
季節の変わり目でメンタルも下降気味
死ぬ前にツラ見せてやろうぜ、そんな気持ちで
なんだかんだ生きちゃおうな
説教ポエム書いちゃった、てへてへ
今日はそんなところ
おやすみ
バイ
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