【blog】空気を読む_250224

今日は近所に買い物、友人とカラオケ&夕食

昼過ぎに友人からお誘いがあって急遽カラオケ

このお誘いがなかったら、

三連休、何もせず過ぎていくところだった

危なかった セーフセーフ

ふらっと誘ってもらえるの嬉しいね

その後はカフェで夕食を

カウンセリングばりに話を聞いてもらってしまった

私の“恥ずかしい”は、どこから?

私の馴染もうとしてる“普通”って何?

私は何に引っ掛かってるんだろうね

思うように生きられてない気がするのは何なんだ

気疲れが楽になる認知を探す必要がある

感覚で動くと、“こうあるべき”とする姿と乖離する

だから自分が恥ずかしいんだと思う

“こうあるべき”が私の言う“普通の人”なのかな

普通の人で、馴染んで、目立たなくて、浮かない

そうありたいけど、何故かそうなれない

“普通の人”なんて本当は居ないからかもしれない

他人の個性をキャッチする力がないのか?

なるべき“普通”がないとして、私はどうしたらいい

好きに生きていいのか?

気を遣える人間でありたい 優しくありたい

優しくされたい そんな目で見ないで

“なんだコイツ”的な扱われ方をした記憶が、ある

私視点では別に変なことしてないのに

お前と何が違うんだ 言うてみぃ

心当たりもないのに怪訝な顔されると

自分の中に原因を探すだろ 色々考えるだろ

考えても分からないだろ

分からないからどんどん動けなくなっていくだろ

たぶん空気読めないんだよ 自覚ないけど

なんだよ“空気を読む”って

読み物なんだとしたら読み手の解釈次第だろ

正解なんてないだろ ふざけんな

あの時はなんで優しくされなかったんだ

アサーションの権利が侵害されていた

私はあの時、怒ってよかったんだ

悲しくなって、自分が悪いと思っていたよ

そういう気付きのあった今日

いい休日でした

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