【blog】ポエムと大人

こんにちは、ふらです

今日は日中、謎のメンタル不調で

Twitterでポエム大会を開催してしまった

(⚠ふらはメンタル不調時、鬱ポエムを吐くぞ!)

一昨日、一昨々日とお出掛けしたから

その疲れが、1日遅れてやってきたんだと

そう思うことにする

年寄りの筋肉痛かよ

Twitterでポエム大会してたら

相方が心配してくれた

最近頻出の相方(ぷりぷりの男子高校生)

どうやら私を救いたいらしい

どうしたものか…

顔の見えない間柄だからこそ話せる話もしたし

もうこれ以上は貰いすぎになる、ママ活かよ

他人を気にかける人自身に余裕があるとは限らない

病み垢界隈にいて学んだ

自身も傷付きながら

他人に手を差し伸べる人を見た

他人のために身を切る人を見た

だからあまりお世話になりたくないんだよ私は

闘病も4年目だからさ、なんとかできるよ

高校生にメンタルケアをさせるアラサー

どうしようもない

自我が芽生える頃、自分たちは“子供”で

成長期や思春期を経て

成人年齢を迎え、“大人”になる

“子供”だった頃

聞き分けのいい態度を取れば

“大人っぽい”と言われた

成長期には

身体付きが少し“大人っぽく”なった

思春期には人付き合いの仕方を学んだ

無闇に感情的にならないこと

苦手な人とは距離を取ること

そういう態度を覚えて、ひとつ“大人っぽく”なった

そしていよいよ成人年齢を迎えて、

晴れて“大人”になった時

何か変化があっただろうか

選挙権と、罪を犯したら実名が出るくらいか

お酒も覚えて“大人っぽく”なったかもしれない

それでも、

私が“子供”の頃に見ていた“大人”には

いまいち成りきれていないように感じた

そもそもここで言う“大人”とは何か

私が見てきた“大人”は

余裕があって自分があって家庭を持つ人だった

仕事や家庭、広く社会に対して責任感のある人、

だったかもしれない

20歳の誕生日に何の実感もないまま

“大人”と呼ばれるようになった

歳を重ねれば、私もいずれ本物の“大人”になるんだ

そう思いながら、数年過ごして気づく

“コレがもう完成形なんだ”

これ以上どんな変化が訪れることもなく

身体的成長はおろか精神的成長もなく

得てきたカードで勝負するしかないんだ

仕事も家事も、生活さえ満足に送れない“大人”

こんなものになるはずじゃなかった

いつか、何か決定的な出来事が起こって

真の“大人”になる瞬間を待っていたのに

待っているだけでは“大人”になれなかった

能力は勿論、精神的にも未熟なままで

無駄に歳だけ重ねていく

この絶望が分かるか

“変わる努力をしてないだけ”とか

そんな意見は要らない

“変わる努力ができない程、未発達で幼稚”なんだよ

弱者の言い訳でしかないが

“大人”としての責任を問われる時

私は求められるそれに見合わず卑小で

無責任な存在だと思い知らされる

“大人にもなれず子供にも戻れない”

思春期のような想いをいつまでも大事に抱えている

世の中の人間はどうなっているんだ

いつ大人になったんだ

どうしてそんなに大人のフリが上手なんだ

私は必死に取り繕っているけれど

実はみんなも“そう”だったりしないか

極論、ジェンダー論と一緒か

“大人”という記号に他人を当てはめているだけ

自分が当てはまらないから焦っているだけ

つまるところ何が言いたいかっていうと

“大人のくせに学生にお世話されてカッコワリー!”

です

あぁスッキリした

ちょっと語っちゃったな

ポエムの名残り

よかったらポエムも覗いていってね

それではまた

バイ

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