【blog】カウンセリングの日_240927

こんにちは、ふらです

カウンセラーさんがブログ読んでくれてる

嬉し恥ずかし申し訳ない

お仕事増やしてごめんなさいの気持ち

一応、読まなくてもいいとは伝えているので許して

いつもありがとうございます

そんなこんなで今日はカウンセリング

仕事どうしていこうかなとかお金のこととか

お悩みを相談してきた

カウンセリング始めた当初は、

“鬱を完全に治したい”って気持ちが強かったけど

今は、“鬱の波とどう付き合っていくか”って

考え方に変わっている気がしてる

わかんない、最近は調子がいいからそう思うのかも

鬱ひどい時はとにかくこの苦しみから抜け出したい

みたいな気持ちが強いからな

苦しすぎて2度と味わいたくないから寛解を望む

元気な時は、鬱が来ても耐えられそうな気がする

学習能力がないのか?

鬱の苦しさの程度をすぐ甘く見積もる

死にたくなるほど追い詰められてたくせにね

覚えててもツライから忘れちゃうのかな

わかんないけど

“休みたい時に休みたい”という話をしてきた

高校の頃、時々学校を休むことがあった

身体がダルいけど、熱とか吐き気とか

分かりやすい不調はなくて

行こうと思えば行ける体調だけど、休みたい

それを母に伝えて、休むことを許されたい

そうやって1日休むと次の日からは元気に行ける

そんなことを時々やっていた

熱もないのに休むのはダメなことで

でもそのダメを通すワガママを認めてもらうことで

なんだか安心していた、気がする

体調と精神のバランスをとってた、気がする

でも社会人になると

当欠はあまり良しとされてないし

有給も限られているし

ワガママで休むのは許されないと思ってた

計画的有給では満たされないものが、当欠にはある

わたしは当欠がしたい

わたしは当欠がしたいのか?

自分の欲求がよくわからない

学生の頃、1日の休みで回復していたものが

社会人になって1日の休みでは回復しなくなった

何が減っていて何が回復しているのかもわからない

上記と関係あるかわからないけど、幼少期の話

引っ込み思案で大人しい子供だった

大人しいと言われるのが嫌いだった(今でも嫌)

地味で、暗い子と言われているような気がした

周りの大人が、うまく喋れない子供の扱いに困っているのが分かっていた

緊張してうまく喋れなくて、遂には泣いてしまい余計に困らせていた

それが、たぶん、いやで

周りの人間が困らないように振る舞うのが“正解”だと思ったのかな

泣きながら帰っても、玄関くぐったら笑顔で過ごしたりして

楽しそうにしていないといけない気がしてた

大人しいって言われたくなくてよく喋るようになったし

リアクションも大きいと思う

そうやって振る舞うのがいいって学習してきた

でも時々自分のしんどいツライ部分を認めてほしくなるのかな

“休みたい”を認められることで安心するのは

なんかそういうことじゃないかと思えてくる

ちょっとまだ言葉が足りないな

また次回のカウンセリングでもう少し話していきたい

おわり

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