【blog】いっそ私が他人なら_241126

◯リワークでボドゲした話

◯会社からの電話

◯セルフコンパッションを学ぶ

午後からリワーク行ったよ

今日は出掛けるのがあまりしんどくなかった

なんだろ、天気?晴れてたから?

利用者さんたちとボードゲームをした

ニムトというドイツ発祥の牛のカードゲーム

ややこしい七並べみたいなゲームだった

戦略の立て方はよく分からなかったけど

なんとなく楽しかった

ボドゲといえばこの間YouTubeで

チャオチャオってゲームを知った、やってみたい

ニャーニャーゲームもやりたい、やってみたい

でも、ともだちが足りない

帰宅後、会社の人事部長から電話かかってきた

こわい、なに、やめて急に

休職期限が迫っているので確認の連絡だった

このままだと退職だけどええんか、と

まぁそんな言い方はしなかったけど

一応復職の意思は伝えて、今後の流れを確認して

特に見解の相違もなかったのでそこは安心

期間短いけどやるだけやってみるんだ

またこまめに状況の確認をされるらしい

やだ緊張しちゃう

相手にされてるうちが華よなと思ったりもする

リワークのスタッフさんにセルフコンパッションを取り入れるのはどうかと勧められたよ

“他人を思いやるように自分を思いやること”らしい

理解が浅いからうまく説明できない、いいコラムを見つけたので一読くれ

私の中にない考え方でなかなか飲み込めない、今も飲み込めてない

ギリギリ納得できるラインとして、過度に自分を責めないことと理解したよ

本田圭佑の“リトルホンダ”ってのもセルフコンパッション的な考え方なのかなと思ったり

“心にギャルを飼う”とかも、セルフコンパッションなんだろうな

自分を肯定できる存在を自分の中に持つ、ってことだと思う

人格の乖離とか起きない?そんな簡単に乖離しないか

私はカウンセリングで、自覚している感情と身体反応が合ってないこと(ツラくないのに泣いてたりとか)を指摘されてるし

余計にガチャガチャになりそう

自分を肯定するのは無理なことで、無理して肯定してもそれは嘘でしかなくて

人間は信じたいものしか信じないから、信じられなくて

でもダメな自分を信じていても結局今までと変わらないので

やっぱりセルフコンパッションしないといけないなと思う

今日さっそく風呂に行くのが面倒だったので

“私はあなたのためを思って風呂に行ってほしいんだよ”

などと唱えてみた

正直、何言ってんだという思いが強かったけど

何もしないよりはマシな感じはした、気がする

気の持ちようなのか、すべて

“自分を責めて鼓舞しようとするのは、起こり得る最大の不幸を回避するため”、らしい

例えば私がリワークに行けないことをさも大変そうにクヨクヨしているのは、

復職が出来ず無職になること(=最大の不幸)を回避するためのプレッシャーを感じているから、ということらしい

復職という大目標を達成するための手段として、リワークという小目標があって

大目標のためのプレッシャーが小目標にかかっていて

そのプレッシャーが大きすぎて、小目標すらも手に負えない大きな不安の塊に見えて実行できなくなっている状態

“私はあなたには復職失敗してほしくないんだよ。リワーク行けなくても、寝起きする時間を決めるところから始めてみようよ”

と、こんな感じだろうか

うん、気持ちが悪い

耳障りのいい綺麗事、偽善のように感じる

ぞわぞわする、いっそ私が他人ならいいのに(?)

他人への声掛けなら綺麗な言葉でも簡単に吐けるのに

道のりは長そう

でも確かに私に必要そうな考え方だと思った

余談、日本心理学会の機関誌、“心理学ワールド

なかなか面白いのでちまちま読んでいきたい

余談の余談、何度か言っている名郷直樹の研修センター長日記シリーズも面白いので、ぜひ読んでほしい

頭の良い人の文章は分かりやすくて気持ちがいい

本当の本当におわり(くぅ〜疲)

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